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大事件の記憶

幼稚園生の頃、
おそらく私の人生で初の、〈大事件〉を起こしました。


もう時効なのでここで発表していまいますが、


〈窃盗事件〉です。



当時、父親が持ち歩いていたキーケースに
ジャラジャラぶら下がった「カギ」に憧れていました。

父親が
「おーいキー取ってくれ」
と言って

母親が渡すそのカギの束を見て

「かっけー…」

と、羨望の眼差しで見ていたものでした。


でも、「カギは触るな」とキツく言われていて
触ることはできませんでした。




ある日、
どうしてもカギを欲しい気持ちが抑えられなくなり

ついに手を出してしまいました…

幼稚園の帰り道にある
ラーメン屋の前に止めてあった出前用のカブ

つけっぱなしになっていたカギを持ってきてしまいました…


その時どんな気持ちだったのかは思い出せないんですが

きっと嬉しくなってしまったんだと思います。


一度家に帰って、幼なじみのたかちゃんとおおちゃんを引き連れ
近所のつけっぱなしになってるカギを盗みまくりました。


そして、缶の宝物入れに大事にしまっておきました。


当時はまだのんびりしていたのか、しょせん田舎だったのか
車やバイクのカギをつけっぱなしにしてる人がたくさんいたんですね。



夕方になり、
おおちゃんのお母さんが、
おおちゃんと一緒に我が家に来ました。

おおちゃん家は最初にカブのカギを盗んだラーメン屋の隣で
ラーメン屋でカブのカギが無くなって出前に行けない、
と大騒ぎになったらしく


おおちゃんは私が盗んだとバラしてしまったのです。



私はカギがたくさん入った缶を差し出しました…





その後、
母親と一緒に盗んだカギを一件一件返してまわりました。

路上駐車してあった車は誰の車か分からなかったり、
カギが無くなったことに全く気付いていない家もありました。


5~6件は回ったでしょうか


たしか、いくらかのお金を包んで渡していたように記憶しています。

出前に行けなくなってしまったラーメン屋には

「多めに渡しておけ」

と父親が言っていたような記憶があります。


途中で母親の顔を見ると涙を流していました…

初めて、
母親に悲しい思いをさせたんだなと思ったのを
強烈に記憶しています。



でも、この事件のことでキツく叱られた記憶は有りません。

何日か後に、父親と手をつないで歩いてる時

「お前は悪いことなんてしないもんな」

と言われたのはしっかり記憶しているのですが…




あの時の母親の涙を見なかったら、


私の人生はもっと曲がった方向へ行っていたかもしれませんね…

好きだった女の子の記憶

幼稚園の頃好きだった女の子は

年少の時はみゆきちゃん
年長の時はケイコちゃん

なぜ好きになったかなんて理由は、さっぱり覚えてません…

幼稚園児どうしでどんな会話をしたか、なんてのも覚えてないですしね

ただひとつ覚えているのは、
ケイコちゃんが、よく私のボタンを閉めてくれていたこと。

面倒見の良い子だったんですね。

いつの時代も男の子は女の子の優しさに弱いものです。


あるとき、両親にみゆきちゃんの名前をうっかり言ってしまったため

その後親戚の前やらで

「みゆきちゃんが好きなんだよねー」とさんざん言われて

小学校に上がってまで言われ続けてしまい

心の中で「好きな子の名前は親には絶対に言わない」
と誓ったものでした…


しかし、
みゆきちゃんも、ケイコちゃんも小学校、中学校と一緒でしたが
その後一度も二人のどちらに対しても恋愛感情を持ったことはありませんでした…


今、あの頃の私と同年代の娘も「○○ちゃんが好きなのー」

と男の子の名前をよく言っていますが、

この先、その子の名前をしつこく出すと

私も嫌がられてしまいそうですね…

もらした記憶

一番古い記憶は3歳のころの記憶と書きましたが、
幼稚園の頃の記憶はところどころ覚えています。


「物心がつく」とはこのころのことを言うのでしょうか・・・?


幼稚園に通っていたころの記憶で
強く残っていることがいくつかあります。

・もらしたこと
・好きだった子
・遠足

などなど、結構残っているものです。



漏らした記憶は二回ぐらいあったような気がしますが、
はっきり覚えてるのは大きい方のこと・・・


年少だったか、年長の時だったか、はっきりしませんが

その時はおなかの調子が良くなかったのでしょう

どのタイミングだったのかも覚えていないのですが



漏らしてしまいました下痢気味のを・・・



恥ずかしくて誰にも言えず、

そのまま歩いて家に帰ってきたのを鮮明に覚えています。


歩きながら漏れたものが足を伝わってくる感覚が何とも言えなかったですね


そのまま周りにバレることなく家に着き

母や祖母が優しくしてくれたような記憶があります。


いま、娘があの頃の私と同じ年になりましたが、

外で洩らしたことは今のところないですね。


娘は私より優秀なようです・・・


一番古い記憶

自分が生まれる前の記憶、いわゆる前世・・・とかではなく
母親のおなかの中にいた時の記憶を覚えている人がいる
と聞いたことがあります。



残念ながら私にはそういう記憶はありません。


44歳の私が覚えてる一番古い記憶は

「誰かにおんぶされている記憶」です。


私の実家は茨城県。
当時、父、母、ひとつ年上の姉の4人で分譲の一戸建てに住んでいました。
隣には垣根を隔てて父方の祖父母が住んでいました。

祖父母は、その土地で最も古くから住んでいて
祖父母の家の周りに分譲の一戸建て住宅の団地が形成されていき
実家もその中の一つでした。

団地の案内図には、きっちりと均等に区分けされた団地の中に
ひときわ目立つ大きな敷地の祖父母の家があり
当時それが少し自慢でした。

祖父母の家と垣根を隔てているといっても、実際は垣根の一部が開いており
お互いの敷地の外に出なくても行き来することができるようになっていて
実家の庭の先が祖父母の家の勝手口につながっていました。

そこを、おそらく母か祖母におぶられながら見た様子が、私のなかで最も古い記憶。

いつもより高い視線で、誰か(母?、祖母?)の背中のぬくもりを感じていました。

おそらく3歳ぐらいのときで、誰におんぶされていたとか、何を話したとかは
ほとんど覚えがなく、ただおんぶされていた、ということだけを鮮明に覚えています。



私が物心がついたころには実家と祖父母の家はインターホンでつながっていて、
普段、我が家のお風呂が沸くとそのインターホンで
「お風呂沸いたよー」と連絡するのが私と姉の役目でした。
祖父母は毎日我が家にお風呂に入りに来ていたんですね。


確か電話回線も二軒で一本で、家の中に回線を切り替えるスイッチがあり
例えば我が家に祖父母宛の電話がかかってくるとインターホンで
「電話だよー、切り替えて」
とやっていました。

当時、玄関のインターホンなんてのもなかった時代ですから
今考えるとかなり珍しかったのかもしれません。



こうやってそのころのことを文字に起こしながら考えていると
忘れかけていた記憶がよみがえってくるものですね。


その後実家は人手に渡り、建て替えられてしまいましたが
祖父母の家は今は両親が住んでいます。

改築を何度かして昔の面影はあまり残っていませんが・・・


記憶の旅

記憶の旅

あなたの一番古い記憶はなんですか?

どんどん薄れていく記憶を自分の頭にとどめておくのは難しい…ある日そう思い、
楽しかったことも、辛かったことも
自分の記憶を残しておきたいと思いました。



昔あの時あんな事があったなぁ…
と鮮明に覚えていた思い出も
気が付けばなんだがおぼろげになっている

そんなことが多くなりました。

なんか勿体無いですよね。

楽しい旅行だったことは記憶してるけど、

誰といったっけ?
何したっけ?なんて

覚えているうちにブログとして残しておこうと思います。


私は現在44歳。
人生の約半分を過ぎたところでしょうか?
今の仕事は軽貨物のドライバー。
一応個人事業主として、少し大きな会社と請負契約をして
都内近郊から東北、関西まで愛車ハイゼットを走らせる日々を送っています。
わかりやすく言うと”赤帽”みたいなもんですかね
赤帽と契約しているわけではありませんが
家族は妻一人、娘一人。
妻43歳、娘6歳。
都内近郊のマンション暮らし。

次回から思いつくまま、気の向くまま
記憶の旅をしていこうと思います。



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