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バイク便の記憶

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今回はちょっと最近の記憶を旅してみます。


私は約8年前まで約12年間「バイク便」という仕事をしていました。

首都圏や大阪を中心とした関西圏の人たち以外には
なじみの少ない職業かもしれないですね。

始めたきっかけは、


「稼ぎたいから」


それだけでした。


当時ある目標のためにとにかく稼ぎたいと思っていました。

今もあるのかわかりませんが「ガテン」という求人雑誌で


“とにかく高収入”


みたいな記事を読みまくってたら

高所での電線工事や、高層ビルの窓ふきなんかと並んで求人されていたのが

「バイク便」でした。


仕事の内容は、
急ぎの荷物をバイクで運ぶだけ。


渋滞した都内の道を箱を積んだバイクですり抜けていく

当然危険をともなう仕事で、いわゆる3K

・危険
・汚い
・キツイ

といわれる仕事でした。


でも、
給料は良かったです。

というか、“完全歩合制”でやればやっただけ稼げました。


すでにバブルははじけていたので全盛期は過ぎていましたが
今よりも単価が全然高かったので

最高で月に70万以上は稼げた記憶があります。


そのぐらい稼ぐには

朝は必ず予約からスタートして(予約をもらわなければ営業所に出勤
して朝から待機)

夜は仕事がなくなるまで

当時は受注が22時30分まででしたので

「今日はもう仕事がありません」

と配車から言われるまで走ってました。


毎日7時前には家を出て、帰ってくるのは24時過ぎ

当時23時から放送していた「筑紫哲也のニュース23」という番組を
ポケットラジオで聞きながら家路について
家に着いたら、そのあとの番組「ワンダフル」を見ながら弁当を食べる
という生活でした。


月~土をそのペースで働いて祝日も出勤
休みは日曜日だけ。


睡眠は3~4時間。


常に眠気が襲ってくるので、
眠気覚ましドリンクの「モカ」は手放せませんでした。


信号待ちで寝てしまうのはしょっちゅうで

右折待ちでも寝てしまい
後ろの車のクラクションで目が覚めて
バイクごとバランスを崩して倒れて
危うく対向車にひかれそうになったこともありました・・・

(学校の授業中に居眠中、ビクンと目が覚めて筆箱とか落として
しまう、あれです)



当然危険な目にたくさん遭いましたが
私は運が良かったのか大きな事故を起こすことなく
12年間働くことができました。





当時バイク便をしていたライダーを大きく分けると、

① ただバイクが好きで、好きなバイクに乗ってお金がもらえるなんて最高!

② とにかく稼ぎたい(目標のために貯金したい、借金を返したい)

③ 空いた時間に仕事をして、時間を自由に使いたい

こんな感じでした。


当然私は②だったわけですが、①や③にも面白いやつや変な奴がたくさんいましたね。

①は完全に“バイク馬鹿”で、仕事中散々バイクに乗っているのに休みの日までツーリングに行ったり、
バイク便でお金をためて海外ツーリングに行って、
お金が無くなったら帰ってきて
またバイク便でお金をためて海外ツーリングという

休みの日はバイクに一切乗りたくない当時の俺には考えられない人たちでした。


③はいわゆるフリーターで目的のために空いた時間で仕事がしたい人たち。
役者の卵なんかが多かったですね。

劇場で公演している役者さんなんかが多くて
チケットをもらっていったこともありましたが

まったく、チンプンカンプンだった記憶があります・・・


残念ながらあの頃の人たちで、今テレビなどで活躍している人はいないようですが・・・




今となってはみないい思い出として記憶に残っています。




現在は景気の低迷と、高速大容量のインターネットの普及で
かなり落ち目なバイク便業界のようですが、

当時は、“時間をお金で買う”というバブル時代の名残が色濃く残る職業だったような気がします。

懐かしいなぁ





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タグ:バイク便
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